由緒と沿革

鎌倉末期

馬橋稲荷神社の創建は鎌倉時代末期と言い伝えられているが、その詳細は明らかでない。

天保二年卯二月上旬~天保三年辰正月三日

天保二年卯二月上旬「当村鎮守稲荷官金勧化連名帳馬橋村」によれば当時の住民、大谷佐六他五十三名、連名を以て官金の寄附あり、是を以て京都に使者を向け、白川神祇伯家の御役所に上申し、御神体及び御神号の宣下を乞いし処、天保三年辰正月三日、正一位足穂稲荷大明神の御神号を賜り、御勧遷の許可ある。
ここを以て勧遷の式を厳かに執行せられた、と語り伝えられている。

明治40年11月28日

当時馬橋村に点在せる社祠、御嶽神社、白山神社、天神社、水神社を、同村中央にある稲荷神社に合祀する。当時は五社神社と呼ばれた事もあった。 

昭和2年~13年

昭和2年、村社に列し、昭和10年頃より社殿建築を計画し、昭和13年11月、茅葺の旧社殿から、白木の香も新たな総檜入母屋流造りの拝殿、幣殿、祝詞殿が完成し、正遷座祭がおこなわれた。 

昭和25年3月

境内に斎霊殿を新設する。日清、日露、太平洋戦争に散った氏子中の戦没者の御魂、並びに神社関係物故者の御魂、合わせて500余柱の御霊を祀る。春秋2回慰霊祭を斎行する。

昭和40年10月1日

住居標示の改正によって、馬橋の地名がなくなり、梅里、高円寺、阿佐谷となる。「馬橋」の地名を惜しみ、後世に伝えようと、神社名を改め馬橋稲荷神社と改称する。同時に神奈川県真鶴産の本小松石(6トン高さ3m)の自然石に社名を刻んだ社号碑を参道入口に建立する。

昭和50年3月2日

鎮座700年記念事業として随神門を完成する。向かって、右に豊磐間戸命、左に奇磐間戸命二柱の戸護りの神像を祀り、中央天井に、直径75cm、都内最大の開運鈴を吊るしている。 

昭和62年6月15日

天皇陛下御在位60年を記念して、神楽殿を改築する。間口2間半の総檜入母屋流れ造り『舞殿』が落成する。現在、例大祭のお神楽や、春秋の芸能鑑賞会(薪神楽(たきぎかぐら)を始めアルゼンチンタンゴ・津軽三味線)など趣向をこらした催しも行われている。
 

平成5年9月3日

平成の御大典記念として、社務所を改築。重量鉄骨2層建築、切り妻流れ造りの大屋根の『参集殿』が完成した。この施設は社務所・会議室以外にも多目的に使用でき、地域の様々なイベントや結婚式にも利用されている。また、同時に境内の整備も実施され、正参道、中鳥居を建立。高さ7メートルの御影石造りの台輪稲荷鳥居。旧の中鳥居は北参道に移設された。 

平成8年12月14日

正参道正面に一の鳥居が建立される。この鳥居は樹齢400年の檜葉の材を使用し、高さ8メートルの朱塗り台輪稲荷鳥居で、この鳥居と中鳥居の完成により、当社大神輿の参道巡幸が可能となった。また、この工事に合わせ入り口付近に防火貯水槽を設置し、地域防災強化にも役立てている。

平成13年2月12日

正参道随神門右手前に手水舎を新築する。木曾檜を材として使用し切り妻流れ造りの水舎に、四国より取り寄せた『伊豫の青石』重量 5トンの自然石から絶えず清水が流れ落ちている。社殿手前左にあった旧の手水舎は東参道に移築された。

特殊神事

初午祭餅つき式、氏子中に伝わる餅つき唄を歌いながら餅をつく。氏子総代、婦人会、青年会の人々の奉仕によって賑やかに餅をつき、紅白の祝餅を神前に供えたのち参拝者に配る。

本社神輿

大正10年の東京博覧会に出品された大神輿、[高さ]2.5m、[台幅]1m、[ワラビ幅]1.5m、[重量]1.5トン、[製作者]日本橋、岡崎町秋山三五郎。  大正12年の8月に馬橋に運ばれたので、からくも関東大震災をまぬがれた。