杉並区馬橋の歴史

馬橋の歴史と地名 馬橋村と馬橋稲荷

新偏武蔵風土記稿

◆新偏武蔵風土記稿とは?

文化7年(1810)文政8年(1825)に幕府昌平校学問所が編纂した武蔵国21郡内各村の地誌です。馬橋村に関する内容が書かれてます。

◆新偏武蔵風土記稿

馬橋村は郡の東の方にあり。郷庄の唱なし。江戸日本橋より行程3里半余。民家56軒。村の広さ東西6丁。東は高円寺村にとなり。西は阿佐ケ谷村に及び。南は和田田端の2村につづき。北は上沼袋村に接す。村内平野にして水田は中間にあり。天水場なれば水損の患あり。青梅街道村の南の方を高円寺村より阿佐ケ谷田端の2村へつらぬ く。村内にかかること凡6丁。検地は寛永16年。中川八郎右衛門 関口左衛門。承けてたたせり。御代官伊奈半十郎預り奉り。夫よりしばしばうつり替わりて。今は小野田三郎右衛門が支配所なり。

小 名


後原 北の方沼袋村の境にあり。
中道 中ほどにあり。
田向 前のつづきにあり。
大塚根 南の方和田村の境を云。
蕎麦窪 西の方にあり。
西ノ久保 文字の如く西の方にあり。

水 利

用 水 西の方阿佐ケ谷村より来たり。村内をふること凡180間ばかり。東の方高円寺村に達す。未流は中野村にて神田上水に落合。
神 社 ・稲荷社
除地1畝12歩(42坪)小名西ノ久保にあり。村の鎮守なり。本社2間4方。拝殿4間に2間。未申の方に向。前に鳥居をたつ。鎮座の年代群ならず。

・御嶽社
除地4段25歩(1225坪)小名後原にあり。小祠にて上屋もわずかなり。

・天満宮
除地4畝24歩(144坪) 前の並びにあり。小祠。平野にして雑木生茂れり。例祭9月25日。


3社いづれも村内福泉寺の持なり。
寺 院 ・清見寺
年貢地3段
青梅街道の南側にあり。禅宗曽洞派にて。群中本郷村成願寺未。瑞雲山と号す。開山を鉄叟雄と云。北向。本尊千手観音。木の座像。長さ1尺7寸なるを安す。開基群ならず。

・福泉寺
年貢地2段
小名後原にあり。群中中野村宝泉寺の門徒。本堂東向。2間半に6間。本尊不動を安す。木の立像にて長2尺2寸。開山を秀順と云。寛永14年。正月12日示寂。開基詳ならず。
土地面積の単位 町 3000坪 段(反)300坪 畝(せ)30坪 歩 1坪